Dr.y2eと面談:退院について、具体的な話をする
- 1週間以上開いているので、まずは生活面でどうか
- 最初は、女性ともおしゃべりができていたけど、今はできなくなくなっている
ーなぜ?
-
- 私は、しょせん、i8iさんのスタブノードだったから
(Drはグラフ理論をご存じなかった模様なので、説明する)
- 現在の、会話に参加できない状態はどうですか?
- 私は、一人で居ることについて、体制があると思っていました
- でも、かつて、お話できていた方々とお話できないというタイプの孤独は、過去にあまり経験がなかったので、このタイプの孤独には弱いことがわかりました
- でも、やはり、女性同士の方が 話は弾むと思うので、現状は自然な形だと思います
- 今の状態でもやっていけそうですか
- おそらく無理だと思います。数日この状態が続いていますが、さらに1週間この状態が続くと、うつの症状が悪化すると思います
- 退院をご希望と聞きました
- ここでできる治療は、終わったと思っているので、今後はカウンセラーに頼るなどして、人格や気持ちのもって生き方を整理したいと思います
- 確かに、今回の入院の目的は、”断酒”で、身体依存も、強い精神依存も無いことがわかりました
- そうです、アルコールに関しては、折り合いをつけていけると思っています。
- その一方で、うつ症状については、治療が進んでいないこと、膝・腰の治療ができないことの方がネックです
- 以前、外出を希望されたようですが、入院中は、どの患者さんにも、院外での受診は禁止しています
ーー(外出禁止の理由は、お酒を飲む可能性があるからと説明を受けたが・・・ ここはあえて黙る)
-
- その意味で、これ以上ここにいる必要もないと思っています
- 退院後は外来での受診になると思いますが、何か具体的にプランなどはありますか?
- 半月から1ヶ月ほど、実家で生活のリズムが整うことを確認できたら、カウンセリングを受けようと思います。
- 東京での復職を最初の目標にしたいと思いますので、継続的なカウンセリングを受けるために、東京でカウンセリングを受けるつもりです。
- アテはあるのですか?
- 東京で通院していたクリニックが、カウンセラーのグループに場所を貸すという形で、カウンセリングを受けられる場所があります。
- カウンセラーが一人ではないということなので、私の来歴と症状を伝えて、適切なカウンセラーを紹介してもらえるのではないかとも期待しています。
- ご両親は、東京に戻ってしまわれると心配されるかもしれませんね
- 両親と、この問題について話し合うつもりはありません
- また、医師はお悩み相談を受け付けていないことも認識しています。
- そうですか、おそらく退院しても問題ないと思いますが、念のため、アルコール専門のもう一人の先生(a3o)にも意見を聞いた上で回答させてください。
- わかりました、私としては、人が少ない土日の10ー11時頃に退院したいとおもっています
- 初めから居なかったかのように、退院できるのがベストです
- a3o先生は、今、会議中で、私は明日別の病院に行くので、回答が木曜日になるかと思いますが良いですか。
- かまいません、そのつもりで準備をしておきます
-
- ありがとうございました、それではよろしくお願いします。
その後、親に電話をし、土日がふさがっていること、金曜日ならば、時間を都合できるので迎えにいけることを確認。
ちょうどDrが廊下を歩いていたので、退院希望日を金曜日にしたい旨を伝える。
”a3o先生と、できるだけ早く連絡を付けて、早めに回答する”と言われる。
透明な存在として、デイルームで新聞を読む
退院できそうなことがわかったので、
だいぶん気が楽ですが、デイルームでは、やっぱり異様な孤立ぶりです。
女性6人くらいが、4人掛けのテーブル中心にを円上イスを並べてお話をしている
その少し離れたテーブルで、一人新聞を読んでいる。
F側も、私が居ないかのように会話を進行する。
(男性が居たら、絶対しないような話をガンガンする)
私側からもF側からも、干渉や会話はいっさい無い。
これが、かの有名な
透明な存在
ってヤツですか。
私には、
- F側は全員ゴーストハックされていて、笑い男的に私の存在を関知できない
- 私に、いつの間にか、熱工学迷彩の機能がついた
- でも、新聞ぱらぱらめくっているので、この説は弱い。
- 熱工学迷彩用の追加料金を払った覚えもない
- これは、私の電脳に後から追加された情報で、実は私はデイルームに居なくて、托体施設に居る(ちょっとMATRIX的な)
金曜日の退院承諾の旨を看護師から伝えられる
看護師から、Dr.u2eの伝言を受ける。
3/5(金)の退院退院が許可された。
その瞬間は、あぁそうか。程度で、あまり感慨はなかった。
この日記の、入院カウンターは16で止まることになりそうです。
その後も病気から自信を持って離れたといえるまで、
日記自体は続くと思いますが。
とりあえず、スケジュールが最短で確定して良かった。
この点では、Dr.a3oにその日の内に確認をとってくれた
Dr.y2eに感謝です。
退院が決まった旨を、その場のメンバに話す
親に電話するのと、どっちが先かなとふと思ったけど、
ちょうど良いタイミングでF側の会話がとぎれたので、
- 報告があります
って言って、会話に入った。
かつてと、同じようにお話をしてくれた。
- 男性は社会復帰しなきゃならないから大変ですね
- F組は既婚者ばかりなので、元に戻ればいいだけだから
ー私:これだけ病床があって、7割が女性だし、女性には機能もライフステップも疾病も多いので、女性の方が大変だと思いますよ
- どっちもどっちですね
- 私:でも、大切な人ができたときに、せめて、1年くらい、”何もしなくて、安心して休んで良いよ” といえるくらいの経済的力は持っていたいと思っているので、仕事には戻りたいと思っています
- (ハチクロで出てきたこの台詞には、共感したよ)
- i5a:私の姉の旦那も言っていました、彼らには子供が居ないので、彼は、”自分が死んだ後、姉が一生苦労しないだけのお金を残すのが私の使命だから”と言ってます。
- 私:男性なら、誰しもそう言いたいと思っているとおもいますよ
- u3a:えー、うちはそんなことないない
- 私:そんなことあるある
その後、私がここに至った経緯とか、今後の予定とかを
まだ話していない人に話したり。
自分の中でも整理がついているので、話しやすい。
でも、外に出たら、こんな話をするのはカウンセラーと
一部の友人くらいだろうな。
なんかここは、特殊な場所ですね。
もうすぐ出てしまうわけですが、
いろんな思いをもって、出て行くんですね。
私の場合は、アルコールの問題について、ひとまず
緊急の事態は避けられたわけですが、
- そもそもの病気からの回復
- 社会復帰
- 社会復帰後のストレスへの対処法の模索
いろいろやらなければならないことがあります。
もちろん、先に出て行った方も、
現実の世界と向き合う という、大仕事が待っているわけで、
完全に治癒したから退院というわけではない。
退院は、誰にとっても、通過点でしかない。